確かに私は異性の学生に対してそう指示しています。 たまに新聞でも取り上げられるので、良識の府であるべき大学でも 残念ながらそういうことが起こっているようですが、 セクハラの問題を起こさないためです。
これは学生、教職員お互いに気をつけるようにすべきですから、
学生も異性の教員の個人研究室に入る時は、できれば学生の方から
扉を開けたままにしてもいいか聞く位がいいのではないかと思います。
(02/04 2002: shige)
LaTeX は UNIX などでは標準的に使われる文書整形システムですが、 MS-Windows や Macintosh 等のパソコンでも動作します。 学会雑誌などでは標準的な投稿形式として採用されることもあるので、 大学関係者では使っている人も少なくないと思います。
LaTeX のことをちゃんと勉強するならば、例えば以下のような本が参考に なるでしょう。
他にも、WWW ページで「LaTeX 入門」などを公開しているところが
たくさんあると思います。
(06/07 2002: shige; 01/03 2003 修正: shige)
私は研究室の扉に試験結果などをはりだしたりしていて、 それを見に来る学生もいるので、 その場合異性の学生でも「扉を開けたままに」と言わないことがあります。 また、言い忘れる場合もあります。
しかし、いずれの場合も、 「Q 7.1. 研究室に入る時「扉を開けたままに」と言うのは何故ですか」 と同様のセクハラの問題を起こさないように、 普段は降ろしている窓のブラインドを開けて、 外から中が見えるようにしています。 決して、言う言わないを人を見て切替えているわけではありません (そもそも私は扉が書棚で隠れているので、 誰が来たかは中に入ってもらわないとわかりません)。
これは学生、教職員お互いに気をつけるようにすべきですから、
学生も異性の教員の個人研究室に入る時は、できれば学生の方から
扉を開けたままにしてもいいか聞く位がいいのではないかと思います。
(09/24 2002: shige)
いくつかの意味 (= へ理屈) があります。
まあ好きなんでしょう。
「講義」は「授業」と違ってどちらかというと一方的で 普段学生の意見を聞くことが少なく、 学生の意見を得てそれを講義にフィードバックするには 強制力の少ないアンケートという形式はいいかなと思っています。 ただ、無記名とすると授業改善にはつながらない無責任な意見も出てくるので、 現在は小テストの機会にアンケートを取っています。
ただ、アンケートを取り始めた初期の頃とはその性格がかなり変わってきています。 以前は講義に対する不満を上げてもらうことで授業改善を行なっていましたが、 それが多少進んだためか不満は減ってきたので、 最近は残った不満 (改善にはつながらない不満) に対して むしろ大学の講義とはこういうものなのだと説明を行なう、 あるいは書かれていた質問に答えるといった形になって来ています。 ただ、もちろんそれ自体とても重要なことだと思っています。 一応学内の学生向けに WWW ページで公開もしています (cf. 「講義に関する page」参照)。
皆さんも、他の学生がその講義に対してどう思っているか、気になりませんか ?
(12/01 2003: shige)
この時期、うちの大学の講義室は冷房が入りますが、 私は設定温度を 24~25 度くらいにして、冷房の強さは「弱」にしますから、 確かに「すずしい」と感じる学生は少ないかもしれませんんが、 それには理由があります。
人間の温度に対する感覚にはヒステリシス、 つまり低い温度から上がった場合と 高い温度から下がった場合では違いが生じると思いますが、 それを抜きにして単純に考えても、
という段階に分けられると思います。
講義室や研究室に冷房が入っている理由は、 暑すぎると講義への集中力や勉強/研究の能率が下がるから、 だと思いますが、それには上の段階でいう 4 でなければいいのだと思います。 だから本来は 3 で十分だと思うのですが、 学生は子供ですからそれでは満足しないので 2 くらいは許容しよう、 と思っています。
しかし、大概の講義室の温度レベルは入ったとたんに 「すずしい」「寒い」と感じる 0,1 のレベルですね。 だから設定温度を上げているのです。
講義をしていると、 特に遅れて教室に入ってくる学生が、 講義室の冷房を勝手に強くしたりすることがありますが、 それはまさに迷惑な、自分勝手な行為です。 入ってきたばかりの学生は、現在暑い中を歩くという運動してきたわけで、 じっとしている人よりも暑くなっているのですから、 じっとしている人が丁度いい温度では暑いのは当然です。
講義室、研究室ではほとんど運動しないので、暑くなければ十分なのです。
これくらいの気温では、実は冷房はなくても全く問題はありません。 実際多くの大学の講義室が現在でも冷房のない状態で講義されています (私もあの暑〜い大阪で講義を受けていました)。
39 度、40 度となれば別ですが、 新潟の 7 月くらいの気温なら多少汗をかく程度で、 ふらふらになったり熱中症になったりする人は多分出ませんが (そもそももっと暑い外を歩いているわけですし)、 冷房の効きすぎは、鼻をすする、腹をこわす、体調がおかしくなる、 という人が出てきます。
気温の変化が大きければ体に負担がかかるのは当然です。 夏は「暑い」より「寒い」方が体には悪いのです。
学生はそもそも冷房に耐える服装をしていません。 冷房で気温を 24~25 度に下げるというのは、 5 月 ~ 6 月初旬くらいの季節に気温を戻していることになると思いますが、 もちろんそのころの格好をしている学生はおらず、 講義室を見渡しても大半が T シャツ 1 枚で、つまり
「外の暑い中を歩いても耐えられる服装」であって「24~25 度の寒さに我慢できる程度」の格好でしかありません。 しかも講義室は日陰ですから、風通りがよければそもそも冷房はいらないのです。
それを私が設定するより低い温度、例えば 20 度以下に下げれば 耐えられずに体調にさわるのは当たり前です。 むしろ、そういう寒さに耐える格好をしているのは、 白衣を着ている私くらいなもんでしょう (夏は私は防寒具として白衣を着ています)。
以上のような理由から、
講義室では「暑い」と感じる人よりも
「寒い」と感じる人を優先すべきだと思いますから、
私の設定温度は、上記 1. の「暑くない」(2,3) のレベルだと思いますが、
それが適当なんだと考えています。
(07/10 2005: shige)
近くに寄って見ればわかりますが名札です。わかりやすくていいでしょ ?
(08/04 2006: shige)
たいしたことが書いてあるわけではありません。 学内の学生向けの他の WWW ページの案内や提案、情報提供などが主です。 例えば、
はい、そうです。 いくつか理由がありますが、そのうちの一つ (屁理屈) を書きます。
落語に 2 種類の理想の形があり、 一つは演者自身の個性で話に引きこむ、笑わせるという形、 もう一つは観客から演者自身の姿は見えなくなって、登場人物だけが見えていて、 話の中に引きこんでいくという形だという話を聞いたことがあります (少し違っているかもしれません)。
個人的には、大学の講義も教員自身が主人公ではなく、 主体は講義内容であり学生であるべきで、 学生は教員の個性に引きずられて教わる、というよりも、 学生が主体的となって、講義内容も参考の一部としながら自分で学ぶ、 という形が正しいのではないかと思っています。
そのため、学生に顔を向けて「私が」教えています、と主張するのはできるだけ避け、 むしろ黒板に書いた内容が主ですよ、ということを伝えているつもりです。
講演会などを想像してもらってもわかると思いますが、
講演者がこちらを向いてばかりいると、
そちらにどうしても目が向いて、講演者が主役に見えてきますが、
講演者がプロジェクター画面を向いてばかりいると、
プロジェクター画面、つまり講演内容が主役に見えます。
どちらかと言えば、その後者を狙っているわけです。
(10/01 2010: shige)
うちの大学では、入学時に全学生に iPad を配布していて、 電子教科書を導入したり、 資料の配布やレポートの提出などを iPad 上で行っている講義もあり、 当然それらの講義中は iPad の使用は認められているでしょうが、 「私」が担当する「基礎数理 (I,II,III)」の講義では、 講義中 iPad やスマホの使用を禁止していたことがあります。 理由はいくつかあります。
後半の 2 つについては、実際にほかの授業の見学を行うと、 iPad やスマホの利用を認めている授業ではそのような行動が 一部の学生に見られます。
数学は、板書を見るだけ、本を読むだけでは身につく学問ではなく、 ノートを取る、計算練習をするといった「古典的な学習方法」 が効果的な分野だと思いますので、 iPad やスマホの使用を禁止していました。 また、社会に出れば、人の話を聞くときは、メモを取ることが必須となります。 そのための紙に書く訓練という意味合いもあります。
今の社会ではスマホが使えるようになることも重要かもしれませんが、 それは数学の講義で習う必要はありません。 うちの大学では、学生の「人間力」を高めることをスローガンにしていますが、 どんなときでもスマホなどで色々な情報を検索したり、 その情報をスマホに手軽に蓄えたり、引用したりする技術 (スマホに頼る方法) を身につけるよりも、 ネットの情報には頼らずに自分の頭でものを考え、 人の話を自分の手でノートにまとめる技術、 自分の考えを文章にする技術を身につける方が、 ずっと「人間力」を高めることになるだろうと思います。 大学とはそういうことを学ぶ場だと思います。
なお、現在は、iPad を授業でも使う場面があるため、
全面的な禁止とはしていません。
(01/22 2019: shige, 04/08 2021 修正: shige)
今年 (2020 年) は、コロナウィルスの関係で、 4 月は授業ができず、特に 1 年生にはガイダンスもないまま、 履修ガイドやガイダンス資料などの書類や iPad だけが送られて、 遠隔授業が開始しました。
その後、入学式は行われたのですが、 あいかわらずガイダンスらしきものは 最初の送付書類で終わった形になっていましたので、 さすがにそれではと思い、 以前教務委員をしていたころに話していたガイダンスの内容を、 基礎数理 I(b) 受講者 (新入生の半分) にプチガイダンスとして、 各講義の最初の 2,3 分だけ紹介しました。
対面授業が始まって第 8 週目の講義から実施したものなので そんなに多くの話はしていませんが、 履修ガイドなどに書かれていない話が実は重要だったりもするので、 それなりに意味はあったのではないかと思います。 欠席して聞けなかった人もあるかと思いますので、 以下にまとめておきます。 なお、入学式のときにも一つ話しましたので、それも追加しておきます。
ほかにも追加すべきことがあれば、後期の基礎数理 II、
またはここに追加していきたいと思います。
(09/04 2020: shige)