2 右手系と左手系

3 次元のベクトル解析などでは、よく座標軸の前提として、 「座標軸は右手系に取る」という話が出てくる。

右手系とは、右手の親指、人差し指、中指でそれぞれ $x$ 軸、$y$ 軸、$z$ 軸を 自然に表すことができるものを指し、そうでないものを左手系と呼ぶ (図 1)。 また、これらは必ずしも直交軸だけではなく、 同一平面上にない 3 つのベクトルに対しても同様の意味で用いられることもある。

図 1: 右手系 (ア) と左手系 (イ)
\includegraphics[height=9.5zh]{orth-tekei1.eps}
図 2: 右ねじによる判別
\includegraphics[height=9.5zh]{orth-tekei2.eps}

又は、指ではなく右ねじを使って 「$x$ 軸の正の方向を $y$ 軸の正の方向に $90^\circ$ 回転する向きに 右ねじを回したときに、ねじの進む方向が $z$ 軸と一致する場合が 右手系」という表現もある (図 2)。

これらはいずれにせよ、視覚的な説明であり、数式による定義ではない。 では、数式で右手系か左手系かを定義することはできないのだろうか。

例えば、3 次元ベクトルの外積

  $\displaystyle
\mbox{\boldmath$a$}\times\mbox{\boldmath$b$}
= \left[\begin{ar...
...}{c}{a_2b_3 - a_3b_2}\\ {a_3b_1 - a_1b_3}\\ {a_1b_2 - a_2b_1}\end{array}\right]$ (3)
は、 $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$ に垂直なベクトルで、
  $\displaystyle
\mbox{「$\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$a$}\times\mbox{\boldmath$b$}$\ が右手系となる」}$ (4)
という性質が知られているので、それを利用すれば、 $x$ 軸、$y$ 軸、$z$ 軸の正の方向の単位ベクトル $\mbox{\boldmath$i$}$, $\mbox{\boldmath$j$}$, $\mbox{\boldmath$k$}$ に対して
  $\displaystyle
\mbox{「$\mbox{\boldmath$i$}\times\mbox{\boldmath$j$}$\ と $\mbox{\boldmath$k$}$\ が
同じ向きの場合を右手系と呼ぶ」}$ (5)
とすれば図を用いずに右手系を数式で定義できそうだが、 残念ながらこれはうまくいかない。 それは、 $\mbox{\boldmath$i$}$, $\mbox{\boldmath$j$}$, $\mbox{\boldmath$k$}$ が右手系か左手系かに関わらず、 常に $\mbox{\boldmath$i$}\times\mbox{\boldmath$j$}$ $\mbox{\boldmath$k$}$ は同じ向きとなる (より詳しくは $\mbox{\boldmath$i$}\times\mbox{\boldmath$j$}=\mbox{\boldmath$k$}$ となる) からである。

つまり、「 $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$a$}\times\mbox{\boldmath$b$}$」は、 実は右手系になるのではなく、 常に軸方向 $\mbox{\boldmath$i$}$, $\mbox{\boldmath$j$}$, $\mbox{\boldmath$k$}$ と同じ手系になり、 よって、座標軸が右手系なら $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$a$}\times\mbox{\boldmath$b$}$ も右手系、座標軸が左手系なら左手系になる だけなのである。

だから、(4) の性質を持つためには、 元々「座標系が右手系である」という前提が必要であり、 どの本でも、外積を定義する前 (あるいは少なくとも外積の基本性質を述べる前) に、 必ず「座標系は右手系と仮定する」という意味の文言が書かれているはずである。

逆に外積を図形的に定義して、そこから (3) を 導く順番で説明する本もあるが、 それもやはり座標系が右手系という仮定がなければ、 (3) を得ることはできない。

外積によって、任意のベクトルの組が、規準となる座標系と同じ手系か 異なる手系かの判断はできても、座標系の規準自体を決めるのに 外積を用いることはできない。

他にも、行列式

  $\displaystyle
\vert\mbox{\boldmath$a$}\ \mbox{\boldmath$b$}\ \mbox{\boldmath$c...
...t\vert
= a_1b_2c_3 + a_2b_3c_1 + a_3b_1c_2 - a_3b_2c_1 - a_1b_3c_2 - a_2b_1c_3$ (6)
は、ベクトル $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$c$}$ のスカラー三重積 $\mbox{\boldmath$a$}\mathop{・}(\mbox{\boldmath$b$}\times\mbox{\boldmath$c$})$ に一致し、 それは $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$c$}$ が作る平行六面体の 符号付き体積となり、その符号は、 $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$c$}$ が右手系ならばプラス、 $\mbox{\boldmath$a$}$, $\mbox{\boldmath$b$}$, $\mbox{\boldmath$c$}$ が左手系ならばマイナスとなる、 ということが知られている (4 節 補題 2) が、 これもあくまで座標軸が右手系である、という前提の話で、 座標軸が左手系ならば、手系と行列式の符号の関係は逆になる。

つまり、外積と同じで、座標軸の手系と同じか違うかは確認できても、 それを座標軸の手系を定義することには使えない。 実際、 $\mbox{\boldmath$i$}$, $\mbox{\boldmath$j$}$, $\mbox{\boldmath$k$}$ の手系に関わらず $\vert\mbox{\boldmath$i$}\ \mbox{\boldmath$j$}\ \mbox{\boldmath$k$}\vert = 1$ となってしまう。

実は、数式で座標系の手系を規程することはできず、 例えば座標軸を「左手系」にしても、外積などで出てくる手系の話をすべて逆にすれば 「左手系のベクトル解析」は矛盾なく成立するのである。

本稿も、図 1 のような図による手系の定義により、 座標軸は右手系と取ることとしておく。

竹野茂治@新潟工科大学
2021-09-01