4 2 段階目の問題

しかし (1) は、 3 節の問題以外にも別な問題を含んでいる。

このパラドックスでは、 「嘘つきである」人の話した (1) の『』も嘘である、 と見ているわけであるが、それは厳密に言えば、「嘘つき」を

『話すことが常に嘘である』 (6)
としていることになる。

しかし、「嘘つきでない」場合にも その人の話した (1) の『』が嘘でないと見る、ということは 「嘘つきでない」ことを

『話すことが常に正しい』 (7)
としていることになる。 しかし、(6) の否定は (7) はなく、
『話すことが正しいこともある (8)
であるから、(8) であるとすれば、 クレタ人が嘘つきなら不合理になるが、 嘘つきでないとすれば正しいこともあるし正しくない場合もあるので、 (1) はやはりパラドックスとはならない。

ただ普通に考えると、嘘つきが (6) で 嘘つきでない人が (8) である、というよりも、 嘘つきでない人が (7) で 嘘つきは

『話すことが嘘であることもある (9)
である人、と考える方が自然ではないだろうか。

もちろん、この (7) と (9) との 組合せであったとしても (1) は パラドックスとはならないことになる。

このように考えると、 3 節の話と合わせてみると元々の (1) は、

  1. 『すべてのクレタ人は言うことが常に嘘』
  2. 『言うことが常に嘘になるクレタ人もいる』
  3. 『すべてのクレタ人は言うことが嘘になることもある』
  4. 『言うことが嘘になることもあるクレタ人もいる』
のように 4 通りに解釈できることになるが、これらの否定はそれぞれ であるので、 となる。よっていずれにしてもパラドックスではなくなる。

3 節の (5) で、 「クレタ人」をやめて「私」にすれば パラドックスでなくなるという問題は回避できると述べたが、 この節の問題も、 「常に」をやめてこの『』自体に適用されるようにすればいいので、

『私が今言っていることは嘘だ』 (10)
と言ったことにすれば解消する (つまりパラドックスになる) ことになる。

なお、これも [1] には「うそつきのパラドクス」として紹介されている。

竹野茂治@新潟工科大学
2007年10月29日