大学の講義は進度が速く、聞いてもすぐには理解できず、 そして理解できないことは頭には残らない。
講義だけで理解できない場合のためにノートを取り、 後で理解するための手がかりとする。
また、講義は、教科書とする専門書の難点を解説したり、 教科書とは違う分かりやすい説明、教科書では触れられていない発展や 現在の状況など、教科書には載っていないことを取り上げることも多い。 これらは、ノートを取らなければ後に残ることはない。
講義では理論の解説が主で、問題演習は行われないことも多い。 しかし、問題をやらなければやはり学問は身につかないので、 自分で問題を解くことで理解の助けとする。
教科書に適当な問題や例が載っていない場合もある。その場合は、 その理論にしたがって、自分で 2,3 の例や例題を作ってみると いいだろう。
勉強をいつまでも講義にたよるのではなく、社会に出た後のことも考えて 「本」による勉強法も徐々に身につけていくべきである。 そして、むしろ「本」による勉強を主と考えて、 講義はそれを助ける場であると考えられるとなおいい。
「本」による勉強法は、 自分のペースで勉強できる、というメリットもある。
以上のことを行っても、自分の力だけでは分からない場合が出てくるだろう。 そのような場合には次のようなことを行うことを勧める。
調べる努力もせずにただ「わからないから教えてくれ」というのは 大人社会では虫のいい行為とみなされることも多い。
なお、インターネットの情報は本よりも便利だが、 信頼性が低いことにも注意が必要。
なお、「教育センター」を利用することを恥ずかしいと 感じる学生もいるかもしれないが、もはやそういう年でもないだろうし、 「わからないこと」は「わかるようになればいい」だけのことで、 少しも恥ずかしいことではない。 むしろ「何もせずにわからないままの状態でいる」ことの方が よほど恥ずかしい。
それでも教員に頼りたい場合には、どこまでわかって、どこから わからないのか、ということをはっきりさせてから質問することが 望ましい。 どうわからないのかを正しく理解しないと、 教員も適切には解答できない。 「さっぱりわからない」と言われたら、 答える側も「一から本とノートを読め」としか言えない。
そして、この「どこまでわかって、どこからわからないのか」を知ることが 分かることへの第一歩であり、疑問は半分以上解決したようなものである。
どうしても細かい、難しい理屈が分からない場合もあるだろう。 しかし工学部では、理屈を理解することよりも、 実際の計算をすることの方が優先される場合がある。 理論を完全には理解できなくても、 物を作ったり、分析をするのに必要な計算ができればいい、 ということが認められることも多い。
学問を道具と割り切って考え、大まかに理解し、計算、応用できる能力も 養う必要がある。
これには 2 つの意味がある。
大学は大人社会である。以上のことを怠り、単位を落す、留年する、 というのは大学の責任でも教員の責任でもなく、本人の責任である。 講義を休むのも自由だが、その代わりそれによって 単位が落ちるのも本人の責任。
自らの責任において、主体的に行動し、勉強することを望んでいる。
竹野茂治@新潟工科大学