ということは、(1) の『』のセリフを言った クレタ人などいないのであって、 実はそれを聞いたと言っている (1) の「」の話者が嘘つきなのだ、 と推理できる。 そうであれば、『』のセリフを言ったクレタ人などいないことになるので、 (1) はやはりパラドックスにはならない。
また、そもそも「すべてのクレタ人が常に嘘を言う」のであれば、 それは「クレタ社会」が成り立たないだろうからそのような状況は考えにくく、 それはクレタ語の「嘘」だと思っている言葉の解釈が実は間違っているとか、 または、クレタ語の否定文を否定文と理解できていないとか、 「クレタ社会」の理解が十分ではないのだろうと考えられる。 このように考えたとしても、それは (1) の「」の伝聞者の能力 (言語理解能力、あるいはクレタ社会の会話ルールの理解能力) が低いだけではないだろうかと想像できる。
竹野茂治@新潟工科大学