6 言えるかという問題など

そもそも、そのクレタ人が嘘つきであってもそうでなくても、 (1) の『』の部分が言うことができるかという問題がある。 嘘を言う人ならば『嘘つきだ』と言えば それは本当のことを言っていることになるし、 嘘を言わない人ならば自分のことを考えれば 『嘘つきだ』などとは言えないはずである。

ということは、(1) の『』のセリフを言った クレタ人などいないのであって、 実はそれを聞いたと言っている (1) の「」の話者が嘘つきなのだ、 と推理できる。 そうであれば、『』のセリフを言ったクレタ人などいないことになるので、 (1) はやはりパラドックスにはならない。

また、そもそも「すべてのクレタ人が常に嘘を言う」のであれば、 それは「クレタ社会」が成り立たないだろうからそのような状況は考えにくく、 それはクレタ語の「嘘」だと思っている言葉の解釈が実は間違っているとか、 または、クレタ語の否定文を否定文と理解できていないとか、 「クレタ社会」の理解が十分ではないのだろうと考えられる。 このように考えたとしても、それは (1) の「」の伝聞者の能力 (言語理解能力、あるいはクレタ社会の会話ルールの理解能力) が低いだけではないだろうかと想像できる。

竹野茂治@新潟工科大学
2007年10月29日