アンケートの意見に対する回答をこちらにまとめておきます。 形式的に多少分類していますが、あまり厳密なものではありません。
アンケート問題のページに戻るなぜ板書が多いのか考えてみますと、
大学の講義の進度は一般に速く、講義だけ聞いてその場で理解する、 ということはあまり期待できないでしょう。 少なくとも私が学生の頃はほとんどその場では理解できませんでした。 よって、取り敢えずノートを取って後でそれを読み返して理解の助けとする、 ということが必要になると思うのですが、 そうだとすると、口頭で説明したことは記憶にはあまり残りませんから。 メモ程度のノートはかなり困ることになるように思います。 つまり完結したノートにもそれなりのメリットはあるのです。
OHP の説明も同様で、目で見たものは分かりやすいのですが、 それだけでは頭に残りません。
集中力の問題もあります。 人間 90 分常に集中して聞き続けるのは難しいものです。 そして、集中力が切れたときにそれがもし OHP の説明だったとすると 聞き流してしまって取り戻せないことになりますが、 細かい板書の場合は、ノートに写す行動は集中力が切れても行えます。 そして、それを集中して理解するのはまた後で行えばいいのです。
まあ、いずれの方法もメリット、デメリットはあると思います。
また、速く書くのは私の癖です。 今のスピードでも実は遅く書いているつもりです (学会発表ではもっと速い)。 だまって板書だけして、板書が終ってからゆっくり説明するのは なんか講義の連続性が切れるような気がするし、無駄なような気がするので、 つい話しながら書きます。 そして、しゃべりに合わせて書こうとするので速くなるのだと思います。 ただ、説明する方は書きながら話せますが、聞く方はそうはいきませんかね。 検討してみる必要はあるかと思います。
進度に関しては、例年の講義より遅いくらいで、 実際にはあまり速くはありません。 多分、板書が速い、あるいは多いのでそれを進度が速いと感じている人も いるのではないかと思います。
よってこれは板書量を落した上であらためて意見を聞きたいところですが、 どの科目も最低この程度の進度はあると思いますので、 むしろ、この程度の進度には慣れるようにしてもらいたいと思います。
「大学の講義について」も 参照してください。
改善案としては、多少深いところ、細かいところを省略していけば、
ページ数は同様の速さで進んでも内容を減らすことは可能です。
(08/02 2001)
もちろん、余裕があればそうしたいところですが、なかなかそうもいきません。 板書に関する改善、 進度に関する改善 が進めば、多少余裕が できるかもしれません。
ただし、個人差、集中力の状態など色々な状況で個々に必要な時間は 変わって来ます。 そして、特に授業に集中できていない人がいる場合には、 その間を私語等に利用し、皆の集中を切らす逆効果となる場合もあります。
本当は、講義 1 コマに演習 1 コマか 2 コマ取れると、問題をやる時間、
説明を理解する時間がちゃんと取れていいのでしょうが、
今の状況ではそれは無理です。
「大学の講義について」にも
書きましたが、大学では講義 1 コマに対し、講義時間外にその倍の学習が
必要とされています。
実質倍の時間は取れないにしても、
問題を考える、講義を理解する、というのは個々のペースで行うことができる
講義時間外でやるのがいいのではないかと思います。
なんでも講義時間内でやるのは限界がありますし、
すべてを講義時間内で理解 (しよう/させよう) と思ったら
全然先に進まなくなります。
(08/02 2001)
内容が難しいのは当り前です。簡単ならわざわざ大学で勉強する必要は ありません。 自分で本を買って独学で勉強すればいいでしょう。 程度は違いますが、あなただけではなく皆が難しいと思っているはずです。 心配には及びません。
そして内容が難しい以上、説明や演習問題もある程度は難しくならざるを 得ません。簡単なら既にその問題は解く必要がありませんね。
説明が難しいと感ずるのにはもう一つ理由があると思います。 実は、「説明が難しい」と答えた人だけでなく、「説明はわかりやすかった」 「こんなものだろう」というばらばらの意見がありました。 個々の土台が違っているので、同じ説明でもかなりのギャップを感じる人と すんなり入ってくる人と色々いることになるわけです。
基礎数理 I ではクラス分けをして、多少はその差異を取り除く努力は
していますが、個人差を厳密に取り除くことはできません。
そして、足りない部分を補うのは最終的には我々教える側ではなくて
学習する皆さんの側です。これについては
「大学の講義について」も
参照してください。
(08/02 2001)
「大学の講義について」にも 書きましたが、大学のカリキュラムは、整備されたものではないので、 大なり小なりどの科目にもそのようなことはあります。 そして、「普通高校出身でなくて工業高校出身なので」という意見もありましたが、 専門科目などではその逆の意見を聞くこともあります。
そして、これも 「大学の講義について」にも 書きましたが、これを理由とすべきことではない、 そういう状況ならば足りない部分を自分で補う必要があるんだ、 というのが正しい、前向きな姿勢だと思います。
社会に出れば、常にそんな状況にあります。 しかし、習ってないから知らない、では済まない、だから皆勉強するわけです。 足りない部分を補わなければ、その責任は自分が負うのであって、 誰も手助けしてくれません。
大学の講義と高校の講義の違いについては、うちの大学の図書館にもある 月刊誌の記事
ただ、教員も学生の現状を把握して、配慮を行うべきところは
行うべきであろうとは感じています。
例えば 8 割の学生が同じ部分を知らないというのであれば、
そこは講義を行う必要があるでしょう。
基礎数理 III の最初の時間に、基礎数理 II でやったこと、
すなわち基礎数理 III の予備知識として知っておくべきことを
一通り書きましたが、あれに例えば問題を追加して、最初の時間に配るとか、
そういった改善はできそうに思います。
(08/02 2001)
一般社会の現場のレベル、 あるいは研究室での専門分野のレベルで説明しろといわれても、 残念ながら多くの場合はわからないとしか答えられません。
数学の範疇でならば多少は答えられます。 ただ、数学の道具のいいところは、どこでも使えるから、ということであって、 あまり固定したイメージを与えるのもやや気が引けます。
確かに工学部では要するに何なんだということを良く聞かれますが、 数学はそのエッセンスだけを純粋化し、 なるべく余計なもの、具体性などを取り除き抽象化することで、 広く応用することを可能にしてきた学問なので、 何なんだとは答えづらいところがあります。
例えば 3 次の行列式を、3 つの列ベクトルが作る平行六面体の体積だと だけ思っていたら、連立方程式を解くのに使うことはできないでしょう。
むしろ工学では、これにはもしかしてあれが使えるんではないかという風に、 新たな使い道を自分で見つけることも意味があるのではないでしょうか。
もちろん、動機付けとしての「どこに使われるか」というものは
意味があると思っています。
特に抽象的なものについては、なるべく具体的な例で伝えれるよう、
また、数学的な意味についても、具体的な例で伝えれるよう、
今後も心がけていくつもりです。
(08/02 2001)
図が汚いのは認めます (^^; まあいいわけをしますと、数学者の書く図は必ずしも綺麗ではありませんが、 本質を外してはいないはずです。
また、図をたくさん書けば、それによって一つ一つの図の印象は逆に減りますし、 皆さんにイメージさせるために私が図を書けばそれが固定したイメージなる 危険性があります。
皆さんが、一人一人それぞれのイメージを持つことの方が大事です。 そんなところにこそ発想のユニークさが出て、色んなもの、 新しいものが生まれるんではないでしょうか。 固定したイメージはそれを阻害するものです。 そして、我々大人はかなり色んなイメージが固定化してきています。 我々が決して思いつかないイメージを持つのは若者の特権です。
ちょっと話を大きくしすぎたように思いますが、 私は別のレベルではなく、同じレベルの話だと思います。
ただ、3 次元のグラフは書きにくいのであまり黒板に書きませんでしたが、
必要なものは最小限は何か書いて持っていった方が良かったかも知れません。
重積分では毎年割と書いています。基礎数理 IV では書く予定です (手でですが)。
(08/02 2001)
と言われても私にはどうしようもありません。 元は内容が難しい、という話のようですが、 それに関しては こちらをごらんください。
ただ、高校までとは違うということをはっきり認識して、
努力をしなければわかるようにはなりません。
大学は大人社会ですから、わからない、わからない、とだけ言っていても
誰も助けてくれません。分かるための努力をしましょう。
それについては
こちらもご覧ください。
(08/02 2001)
基礎数理 I、基礎数理 III、どちらの科目も今年使用した教科書は 標準程度のものだと思います。 私が担当している講義の内容からすると、ほぼ適切なものではないかと 思われます。 ですから、逆にこれ位はこなして欲しいという希望はあります。
確かに、教科書の説明は難しいところもありますし、 あまり問題が適切でない部分もありました。 そこは講義で補っているつもりです。 他の対処法については こちらをご覧ください。
また、そのように感じる部分があったら、まだ講義が行われている時期に 言って頂けると、次週の講義等で対処ができるのでありがたいです。
なお、基礎数理 III に関しては、別な意味で現在の教科書は使いにくい点も
ありましたので、来年度は変更する予定
(今年 C クラスの基礎数理 I で使用したものにする予定) です。
基礎数理 I も、もし今使っているものより良さそうなものがあれば
変更するかもしれません。
(08/03 2001)
ちょっと贅沢かな (^^;
数学の解法は一通りではありません。 一つの固定した解法を覚えたい、というのでしょうか。 その詳しい正解例と自分の解き方が違っていても、それは正解かもしれません。n つまり詳しい解答、と言うのはあくまで正解「例」であって、 必ずしも完全なものではありません。
また、どの本にも問題の詳しい解答がついているわけではありません。 つまり、今後専門書を読む場合、そういうものを当てに勉強しようという姿勢は 正しくはありません。 多くの場合、例題の詳しい解答をみて、その理屈が分かれば、 他の問題もほぼ同様に解けるはずです。
ただし、試験や演習をするとわかりますが、解答の書き方がおかしい、 というものがかなり見られます。 それらは直していく必要があると思っていますので、 今後も今年のような、全員の答案 (の書き方) を見る形の演習を 適宜実施したいと考えています。
また、例題だけでは正解例が不足している、と感じた場合には
章末問題を例題に加えたりして正解例を追加して紹介したいと思います。
他にも、演習の形式を変更することで改善できる可能性はありますね。
(08/03 2001)
高校までの学習スタイルを引きずっているような意見に見えますが、 大学の専門書には、例えば高校のような参考書や問題集はほとんどありません。 それは、大学の専門書には、高校のような範囲が確定していないということと、 一つの分野に対する需要が少ないから作らない、という理由があります。
ただし、皆無ではなく、例えば大学に於ける微分積分の演習書 (いわゆる問題集) や線形代数の演習書などはあります。 なんなら紹介してもよろしいですが、図書館には入っていたかな ? しかし、いずれも問題の量は膨大です。 多分解いている時間はあまりないでしょう。 少なくとも基礎数理 I に関しては教科書付属の問題で十分だと思います。
参考書というのも、よって同じ分野を教えるのに使われる別な教科書、
でしかなく、高校の参考書のように問題演習によって理解させる形式、
ではなく、今使っている教科書とそう大差はありません。
ただ、ないよりはましかもしれませんので、紹介するように
手に入りやすいもの、典型的なものを調べてみます。
(08/03 2001)
だからこの教科書は難しい、ということではありません。 現在、基礎数理 I で使用している教科書は一般的な微分積分の教科書で、
記号が違う、という意見と、教科書と違う流れでやるので混乱する、 という意見がありました。 そして、だいたい教科書通りだった、という逆の意見もありました。
記号に関して言いますと、 高校までの数学は、文部科学省が記号まで色々統一しているので、 記号に差は出ませんが、大学の数学はそうではありません。 数学の記号は本により、国により、分野により色々違いがあります。 講義では、教科書の記号を採用しつつ、なるべく一般的な記号を 使うようにするのが望ましいだろうということで、 教科書とは異なる記号を紹介することもあります。 そういう場合は講義中にそのように説明していると思います。
流れについては、確かに例年、教科書に沿った形、というよりは 私が考える自然な流れというものに沿って講義を行っていますので、 教科書とは必ずしも同じ流れになるとは限りません。
それに、教科書一冊を講義するのは無理でしたから、 ある程度とびとびに取り出して講義をする必要がありました。 となると、自然と教科書通りとはいかなくなります。
ただ、とんだ場合、現在教科書のどこに対応するのか、ということを 明示した方が分かりやすいとは思います。 セクション番号は確か教科書と合わせたと思いましたが。
また、そのような手法に不満があることも分かりましたので、
今後検討したいとは思います。
(08/03 2001)
どんなプリントを要求しているのかはっきりしませんが、
例えば講義の板書をプリント化すると、板書量は減って 皆さんがノートに書き写す作業は確かに減ります。 ただ、以前私が怪我をして板書できなかったときに私のノートのコピーを 配ってそれを口頭で説明した、ということがあったのですが、 結局プリントを見て私の話を聞くだけなので、次第に眠っていく人が多かったです。 だからあまりプリントを配って、皆さんが手を動かさない形でそれを解説する、 という形を取りたくはありません。
ということで、講義の内容をプリント化することはあまりしたくないのですが、 全部でなくて一部をプリント化する、ということならいいのかもしれませんね。
演習問題をプリントにする、というのも、
なるべく多くの学生に実際に問題を解いてもらう、という形態を目指すとなると、
実施方法が難しいと思います。
色々な方法を考慮していきたいと思います。
(08/03 2001)
多分、中間テストをやって欲しいという理由は
何か対策を考えないといけませんね。
また、離散数学に関しては、慣れていない分野であったので、
中間テストをやる余裕がなかったという理由もあります。
申し訳ありませんでした。
(08/03 2001)
昨年まで、講義の始まる前に問題を黒板でやっておいてもらう、 という形式を取っていたのですが、 今年はそれをやめたので講義時間内の例題は実は昨年より増やしたつもりでした。 そのため、講義は予定より進みませんでした。
さらにそれらの例題や問題演習を増やすことは時間的制約から難しいのですが、 やり方を変えることで可能性は出てきます。
少し考えてみたのですが、
よくわかりませんが、点数化してくれという意味なのでしょうか。 今回、講義の最後に行った (基礎数理 I, 基礎数理 III) 演習の実施方法について、その理由を説明します。
演習は、20 分位の時間を与え、2 問位を解いてもらいました。 そして、それは
多少説明を減らすことは可能かも知れませんが、 大学の講義は次々新しい概念が出てきて、それをちゃんと説明するだけでも 結構な時間がかかります。 その新しいことを理解しなければ問題は解けません。 問題によって理解するのだというかも知れませんが、 「問題によって理解する」のは「ちゃんと説明したこと」を理解するのです。 つまり、「ちゃんと説明する」ことは必要なのです。
また、 「大学の講義について」にも 書きましたが、大学の講義は専門書を勉強する方法を学ぶ場でもあります。
社会に出て専門書を勉強しなければいけない場合、丁寧な問題演習もなければ、 それを解説する人もいない、その状態で理解していかなければいけない、 ということになります。 例題で理解するのでなく、理論を解読し、それを応用する能力、 すなわち見たこともない問題が出てきてもその理論を応用して 自分で解答を作る能力を身につける、 大学の講義はその訓練の場でもあると思っています。
もちろん計算演習も必要ですが、計算演習だけになってしまうと、 別な問題が出てきたときに、やったことがないからできない、 ということになりかねません。 社会に出たときにそれでは意味がありませんよね。 理論を理解していなければ応用はできません。
理論と演習は車の両輪のようなものだと思います。
(08/03 2001)
それは正しいと思います。 そして逆に、1 週間くらい間をおいてもう一回その問題を思い出す、 思い出しながら解いてみると、より記憶に残る、というのも正しいと思います。 記憶は脳神経への反復的な刺激により強くなります。
これは、多分演習の形態で変わると思います。今回のやり方では
それはできませんでしたが、別な演習のやり方ではそのようにもなるでしょう。
(08/03 2001)
これは、予習してきてこの問題だけ解けなかったんだけど、 という方の意見だと思います。 私の方は、なるべく多くの学生が理解するようにという基準で典型的な問題や、 易しすぎず難しすぎない問題を選択していますので、 どうしても少し対立する部分がありますね。
ただ、リクエストは別に構いませんから、講義の中でも講義前、講義後でも
リクエストがあれば言ってください。
それを採用するかどうか判断するのは結局は私ですが。
(07/27 2001)
私の作った演習問題は、あえて解答を出しませんでした。 ならやらない、というのはあまりに受け身な姿勢だと思います。 専門書では、問題が載っていても解答が載っていないことはよくあります。 自分で解法を探し、考え、他人と議論をする、そういったことを 期待したいところです。
答えがあっていればそれでいい、 解き方を覚えてしまえばそれでいい、 というのはあまり正しい方向とは思いません。 徐々に正しい方向、自主的に動くという学習姿勢にも慣れていきましょう。
ただ、略解だけでもプリントで配った方が親切だったかも知れません。
(07/27 2001)
実はこれには
我々数学者は通常証明ばかりをやっていますので、 まあ慣れていない数学者が慣れていない分野を講義すると このようになってしまうという、悪い見本ですね。
工学部では (もちろん数学者においても物によってはそうなのですが)
定理の証明よりも定理の使い方の方が重視されるので、
一概にどちらが正しい、とはいえませんが、
ただ、何故成り立つのか、ということが気になるのは自然な欲求だと思いますし、
証明が定理の本質をついているのは確かで、例題を解くのでなく、
証明を理解することで定理を理解するということができる人がいるのも事実です。
(08/03 2001)
大学の講義は本来そのような形だと思います。 アカデミックな立場が何よりも優先し、 講義中の私語が他の人が講義を聞くのを、あるいは教員が講義を行うのを 妨げてはいけない、それが何より大事であると考えています。
しかし、「よかった」という意見が出るというのは、逆に考えると かならずしもそうではない講義、 すなわち出席だけ取りに出ている学生がある講義が多い、 あるいは出席を代筆してもらっている学生が多くて、 不公平に感じている学生が多い、 ということを意味しているようでやや悲しくなりますね。
ただし、これもあくまで私の優先度に関する基準に基づいた意見であって、
これが必ずしもどんな教員、どの講義にも正しく当てはまる、
とは思ってはいません。
(07/27 2001)
すみません。多少気を使ったつもりだったのですが、わかりませんでした。
できれば、もっと早く言ってくれると講義の中で改善できたのですが。
今後改善したいと思います。
(08/03 2001)
一応大きな声を出しているつもりですが、 私は皆さんにまっすぐに向かって話すことが少なく、 黒板に向かいながら、あるいは横や下を向きながら 話したりすることが多いのでそうなるのだと思いますが、どうでしょうか。
マイクを使うとそれはまたそれで聞きにくいこともありますから、
皆さんに向かって話すようにしたいとは思いますが、
それによって多少講義のペースが乱れることもあり、
それで自然に避けているという面もあります。
また、講義に集中するとそういうことも忘れるような気がしますので、
それに関しては多少大目に見てください。
聞きにくければなるべく前に座ってください。
最前列は大抵空いてますよ。
(07/27 2001)
字が汚いのはなかなか直りませんね (^^;
特に板書が速くなると汚いだろうと思います。
なるべく丁寧に書くように心がけたいと思いますが、
ある程度は大目に見てください。
もし読めない字があれば指摘してください。
(07/27 2001)
ある程度大きく書いているつもりです。
これ以上大きく書くと一回で板書できる量が減って、
早く板書を消すことになりますのでちょっと避けたいところです。
もう少し黒板が大きいといいのですが。
なんでしたらなるべく前に座ってください。
最前列は大抵空いてますよ。
(08/03 2001)
5 限は、私もしんどかったでした。
木曜日は 2 限から 5 限まで講義が 2 つ、演習 1, 輪講 1 と
全部塞がっていて、
5 限になるとかなり疲れがきていました。まあお互い様です。
制度上は問題がないはずなので、やめる必要はないのですが、
今年は基礎数理 III を合併にしようとしたのが
そもそも間違いだったかもしれません。
検討したいと思います。
(08/03 2001)
2 限に勝手に、ということですが、5 限に都合の悪いものは あらかじめ届け出させて 2 限に出てもらっていましたが、 他にもいたかもしれません。
ただ、そのようなことをする者は、周りや私からそのようなことをする者だ、
と評価されることになるわけで、あまり気にしない方がいいでしょう。
むしろ、そういうことをしなかった自分を褒めてあげてください。
(07/27 2001)
全ての講義で私はわざと 5~10 分遅れて始めています。 そのような説明はしませんでした (聞かれたことがなかったので)。 理由をお話しましょう。
現在でも実は大学の講義は一コマ 2 時間 (120 分) と計算されています。 それを運用で 90 分にしているだけです。 昔は大学の講義は本当に一コマ 120 分行われていた時代があります。 その当時の事だと思いますが、外国から入って来た習慣ではないかと思いますが、 「アカデミック・クォーター (academic quarter)」というものがありました。 これは、現在の講義間の休み時間のようなものですが、 講義室の移動などを考えて実際には 15 分 = 1/4 時間 (quarter = 1/4) 遅れて始める、というものでした
現在、うちの大学の講義時間は 90 分であり、すでに制度的にその アカデミック・クォーターが取り入れられているようなものですが、 私が受けた講義 = 100 分 - 15 分と 90 分 - 5 分は同じになるので、 5 分遅れる、というのが 5 分遅れる理由の一つです。
昨年までは、講義が始まる前に演習問題を板書してもらっていたので、 その時間を有効に使ってもらっていたのですが、 今年の学生は有効に使ってはいないようですね。 講義の進度が早い、内容を理解しにくい、と感じるのであれば、 その少しの時間 (5 分 ~ 10 分) の間に前の時間のノート、教科書、 あるいは今日やる部分を読んでみたらいかがでしょうか。 決して無駄な時間にはならないと思います。
それとも、我々は 9:00 に朝早くに間に合うように来ているのに、
教員が遅れるとはけしからん、という心情的なことなのでしょうか。
(08/03 2001)
これは、
まず前者に対してですが、我々はクラス分けテストのでき具合を見て 判断しているわけですが、 もちろん、クラス分けテストで全ての実力が計れるわけではなく、 不手際は多少は生ずると思います。 だから、上のクラスに入って難しすぎる、と感じる人もいれば、 下のクラスに入って、簡単すぎると感じる人も多分いるだろうとは思います。 ただ、いずれにしても、これくらいの実力なら、 これ位は、人並外れた努力ではなく、並の努力で、ついて来れるだろう、 という辺りで講義をしているつもりです。 そして、それが期末テストの結果に現われています。
現在の方法が最善だとは言いませんが、努力さえ怠らなければ 単位を取ることは十分可能だとみてクラス分けを行っています。 「合っていない」という理由に逃げ込むのは簡単です。 ただし、それは分かるための努力をしていない人には正当な理由とは言えません。 それでも「合っていない」と思われるのであれば、 担当教員に相談してみたらどうでしょう。
参考までに言いますと、私が現在行っている基礎数理 I の講義は、 クラス分けを行う前までに行っていた講義とほぼ同じ、 あるいは例題をを多少増やして進度をやや落したものです (以前はクラス分けをしない状態でしたが、多変数の微分の入口まで 行っていました)。 決して難しいものではないと思います。
また、後者に対してですが、クラス分けをせずにやっても、 テストの点数は同じものにはなりません。 同じことを教えても、あるものはそれを理解し使えるようになり、 あるものは理解できずすぐ忘れてしまう、ということは起こります。 つまり、それはクラス分けをするから、という理由ではなく、 どのようにやってもそれは起こると思います。 クラス分けがそれを助長するかも知れませんが、 例えばもっと勉強したいのに下のクラスに入ったと思う人は、 それに反発して自分で先の方まで勉強するようになるかもしれませんし、 それはなんともわかりません。
現在のやり方が最善ではあるとは思いませんが、
間違っているとも思いません。一つの方法だと思います。
今後、より良い方法を我々教員で考えていくつもりですが、
皆さんも意見があれば是非
お寄せください。
(08/03 2001)
これは、
数学の時間を増えるのはいいことだと思いますが、なかなかそうもいきません。 ただし、数学の時間が少ないことを考えて、 今年から基礎数理 IV が開講されますし、 情報電子の今の 1 年生からは専門科目として応用数理 (A,B,C) が開講される ことになっています。
理想としては基礎数理 (I,II) にそれぞれ一時間ずつ演習がつくと いいと思うのですが、今は少し難しいでしょうか。
なお、私がいた大学では、演習のついている講義もありましたが、
その他に、1 年生の初年度の微分積分
(皆さんとはちょっと違った微分積分ですが) のために、
空き時間に 4 年生がボランティアで、希望者対象に演習をやっていました。
そんなこともできたらいいんじゃないかなぁと思います。
(08/03 2001)
これには、だから理解できたのでよかった、という意見と、
そこは省略して欲しかった、という反対の意見がありました。
どこが重複している、ということをちゃんと把握してあれば
私もとばしたと思うのですが、
まあそれなりにいいと感じた人もいたわけですね。
一度聞くよりも二度聞く方が頭に入るでしょうし、
重複するということはそれだけ基本で大事なことだということですから、
悪いことばかりではなかったと思います。
(07/27 2001)