5 3 段階目の問題

もう一段階、「嘘」という言葉も少し考えてみよう。 「嘘」とは「事実とは異なること」「正しくはないこと」という意味であるが、 それよりむしろ
「話者が真実を知っていながら (悪意などを持って) あえて真実とは異なることを言うこと」
を指しているのではないだろうか。 そのような意識はないままに正しくないことを言った場合は 「嘘」とは言わずに「間違い」などのように言うように思う。 とすると、内容が正しくなくても、 そこに悪意があるかどうかで「嘘」であるかそうでないかが 変わってしまうことになる。

例えば、朝の天気予報が「今日は晴れ」と言ったのに雨が降った場合は 天気予報は正しくないことを言ったことになるが、 それは「嘘」とは言わず「予想が外れた」と言う。

また、この天気予報を例に取るとわかるが、 話す時点でそれが「正しい」か「正しくない」かを 話者がちゃんと判別できることを言うためには、 体験的な事実に対しては、それが過去から現在に至る話、 しかも確実にその人が体験したことしか述べることはできない。 少しでも時間的に未来のことはあくまで話者の予想にすぎず、 話者がそれを話した時点では正しいかどうかは決定しないから、 話者に嘘を言うという意識が多少あったとしても、 それはその時点では 100% の嘘にはなりえない。

よって、現在以前の体験的事実か、 時間には依存しない普遍的な事実以外でなければ、 嘘、すなわち話者がその時点で 確実に正しくないと断定できる話であるかどうかの判別はできないことになる。

そういう意味では、『クレタ人は嘘つきだ』を正しく判別できるのは、 現在以前にクレタ人が言ったことに対する表明、 しかもそれを表明している人の経験しかありえないので、 厳密には、

『私が今までに聞いてきたクレタ人の話はすべて嘘だ』 (11)
でないといけないことになる。

この場合、(11) の表明をクレタ人が行ったとしても、 この (11) の『』自身がその話に含まれるかと言うと、 この『』の話は『嘘だ』まで言うことで完結するが、 それは『今までに聞いてきた』の後に来るわけだから、 『今までに聞いてきた』には含まれず、 よってこの文自体はこの表明の対象とはならない、と見るのが自然だろう。 そしてもしそうだとすれば、もちろんこれはパラドックスにはならない。

この状況は (10) でも同じであるので、 (10) ではこの問題は解消しない。 これを解消するには、まず「嘘」を純粋に「正しくない」に変え、 かつ「私が今言っていること」を時間的な表現ではない形に変える必要がある。

例えば、

『この文は正しくない』 (12)
とするとか、
『この紙に書かれていることは正しくない』 (13)
とだけ書いた紙を用意するとかすれば解消する。

竹野茂治@新潟工科大学
2007年10月29日